カブで行く北海道ツーリング第4話は、青森県むつ市で会津藩が斗南藩として再興し上陸した地点を目指して走ります。
会津藩再興
スーパーカブ90で行く北海道ツーリング第4話として今回は仙台の飯沼貞吉の墓から、青森県むつ市で会津藩が御家再興の地として選んだ青森県むつ市が舞台です。
戊辰戦争に敗れた会津藩はその責任を問われ、会津松平家の会津領は没収となった。
1869年(明治2年)に松平容保の嫡男である、容大を藩主とすることで御家再興が許された。
しかし、元の会津領に戻ることは許されず、代わりに候補地として新政府から挙がったのが、猪苗代・下北半島むつ上記のいずれかであった。
元会津藩の高官たちは議論を重ね最終的に選択したのは、現在の青森県むつ市。
こうして元会津藩は斗南藩(読み方は「となみはん」)と名前を改め、下北半島へと歩みを進めるのであった。
青森県むつ斗南藩士上陸の地
青森県むつ市に元会津藩士たちは、斗南藩として下北の地を踏むことになるが、現在斗南藩が上陸した地には斗南藩士上陸の地の史跡として石碑が建立されている。
この石碑に使われている石は、斗南藩士たちの本来の故郷である、会津にある会津若松城(鶴ヶ城)の石垣に使用されているものと同じものが使われているという。
建立に携わった有志達が斗南藩士たちの気持ちを汲んでのことだろう。また、石碑は会津若松の方向を向いて建っています。
藩の名前が変わってもやはり、元のルーツは会津なのだということを示しているのだと思います。
この方角の先には会津若松城(鶴ヶ城)がある。斗南藩士たちは新潟から船に乗り海路を使ってこの地に上陸したのだそうです。
もちろん徒歩の人たちもいたとは思いますが、当時の人にはこの地はどのように映っていたのだろうか。
近くには恐山でしょうか、ひときわ大きな山が目立ちます。
こうして会津人たちの新たな生活がこの地で始まり、150年が経過したのであった。
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